名古屋の成り立ち 【原始~中世】

防災を考えるとき、自分たちの住んでいる土地がどのように形成されたのか、その成り立ちを知ることは非常に大切です。

ここでは、アオキ一級建築士事務所が拠点としている名古屋にスポットを当てて、その成り立ちを辿っていきたいと思います。(参考:名古屋市ホームページ及び防災関連資料)

 

 

名古屋の大地が形成される以前、ここは東海湖という湖の中心に位置していました。

1万~2万年ほど前の縄文・弥生の頃に、この東海湖が隆起したことで、半島として名古屋台地が形成されましたが、この時はまだ名古屋の西南部は海となっており、海岸線はゾウの鼻のような形をしていました。

また、海面は現在よりも2mくらい高かったと言われており、現在の名古屋城や都心周辺が海岸に面していました。

下の地図の白い線が、この時代の海岸線となります。
白い線より左側はまだ海でした。

※地図出典:国土交通省国土地理院

 

 


中世になると、土砂の堆積や海退等によって、名古屋の台地は現在の熱田区にまで拡がり、田畑や集落が形成されるようになります。

5世紀から7世紀にかけては、「尾張氏」が東海地方最大の豪族として、この地域一帯を支配しており、断夫山古墳や熱田社などが残る熱田周辺をはじめ、上志段味や大高近辺等にも「尾張氏」ゆかりの古墳や神社が残されています。

※地図出典:国土交通省国土地理院

2021年07月30日