名古屋の成り立ち【江戸~昭和】

室町幕府の没落後は各地で争乱が起こり、名古屋周辺は天下統一の舞台となりました。

1610年、戦国の乱世を制した徳川家康は、名古屋台地の北端に名古屋城を築き、その築城に合わせて、尾張の中心であった清須城下町を名古屋に移します。
(これを「清須越」といいます。)

これと同時に、城下町の物流を支える堀川が開削され、熱田のまちと城下町をつなぎました。
また、尾張藩や豪商、豪農等によって、干拓による新田開発が盛んにおこなわれ、名古屋の台地が拡大されていきます。

※地図出典:国土交通省国土地理院



明治時代になると、名古屋駅 が開業します。
また、熱田湊に代わって名古屋港が整備されました。
こういった急速な近代化・産業発展に伴う人口増加とともに、旧城下町の周辺部では基盤整備が進み、 市街地が拡大していきます。

大正・昭和の前期になると名古屋港と名古屋駅を結ぶ中川運河が整備され、港や運河の周辺には広大な工業地が形成されるようになります。
広小路通や大津通には市電が敷設、沿道には官公庁、銀行、デパート等の近代建築が建ち並ぶようになり、産業文化都市として発達していったのです。

※地図出典:国土交通省国土地理院

 


2021年08月19日