明治12年(1879年)の京橋・日本橋の大火などをきっかけとして、東京府は、明治14年(1881年)に東京府布達甲第27号「防火路線屋上制限」を布達しました。
これは、京橋、日本橋、神田の中心三区の主要街路と主要運河を指定して、これらに沿って建つ家屋の構造をレンガ造り、石造、土蔵造に制限し、さらにその他の建物を瓦葺きとする屋上制限を行うという内容でした。
また、この布達は、新築の建築物に適用されるだけではなく、既存建築物に対しても制限に合致していなければ一年や三年などの期限を定めて改修、改造をさせるものでした。
期限内に改修しない場合には、強制的に取り壊すとしていましたが、実際には強制取り壊し等は簡単にはできず、期限の延長を認めたり、改修のための積立金制度を導入したりしたようです。
この結果、明治20年(1887年)頃には東京の主な街路は土蔵造、レンガ造り、石造が軒を並べ、区内の多くが瓦葺きで埋められ、以降、東京では大火は見事に姿を消しました。