明治初期、明治政府に対して、東京を新生日本の首都にふさわしく改造させようとする情勢の動きがありました。
このような状況のもと、東京の都市改造を決定的なものにさせたのは、明治5年に起きた銀座の大火でした。
■1870年(明治3年)1月
東京府が「土蔵造塗家の奨励」「道敷内への建物の進出の禁止」「火除地内の常設的建物の建設の禁止」を布達する。
■1871年(明治4年)4月
「人・車道の区別を立てて通行税の徴収を行い、その費用で道路の改修を行う」とする東京府の提案が許可される動きがあった。
■1872年(明治5年)2月26日
銀座の大火がおこる。
26日午後3時ごろ、和田倉門の元会津屋敷から出火した火災は、おりからの烈風にあおられて大火となり、大名小路から外濠を超え銀座一帯から築地までの41ヵ丁、288,000坪を焼いて、夜10時ごろにようやく鎮火した。
この大火の直後、大火からの復興を機として、明治政府と東京府は、銀座の道路の改造と家屋のレンガの造化を行う。