明治期には府県レベルの建築関係法令がいくつも制定されていました。
それらは内容及び目次から次の八種類にまとめられます。
①明治初年の各種の布達類
②長屋取り締まりを主対象とする建築規則(明治の後半には、長屋だけではなく建築物一般を対象とする建築規則も制定されるようになった。)
③井戸、下水溝等の取り締まりに関するもの
④倉庫等の取り締まりに関するもの
⑤街路の取り締まりに関するもの
⑥屋上制限に関するもの
⑦煙突の取り締まりに関するもの
⑧製造場等の取り締まりに関するもの
この中でも、建築においては特に①、②に注目したいと思います。
① は明治 3年(1870年)の東京府の布達(土蔵造塗家の奨励、道敷内への建物の進出禁止、火除地内への常設的建物の設置の禁止など)、明治 5年(1872年)の「煉瓦家屋建築御趣意告論」(銀座レンガ街計画)、明治14年(1881年)の「防火路線屋上制限」の布達(東京の中心三区の主要街路と運河を指定し、これに沿う建物の構造の制限とその他の建物の屋根葺き材の制限を行った)などがあります。
また、これら以外にも、東京以外の府県で防火関係の布達がいくつか出されています。ただし、明治初期には、日本の政治、行政機構も十分には整備されていなかったので、この頃の布達類は体系的なものとはなりませんでした。
その中で、明治6年(1873年) 神奈川県の「作家建方条目」が一般建築物を対象とした法令として注目されます。これは、横浜港を中心とする地域を対象としたらしく、石造、レンガ造り、塗家等による建築物の耐火化、屋根の不燃化、その他下水等の衛生関係の規定が定められていました。
② 長屋取り締まりに関するものとして、明治19年(1886年)に大阪、神奈川、兵庫、長崎、滋賀の五府県において、港を持つ都市の居留地の長屋の衛生対策を中心にした建築規則が制定されています。これは、当時のコレラ、天然痘、発疹チフス、赤痢等の伝染病の大流行を背景としたもので、それらの伝染病の港からの蔓延への対策でした。明治の終わり頃までに、およそ20の府県においてこの種の規則が制定されます。
明治の後期には、長屋のみならず建築物全般を対象とする総合的な建築規則を制定する府県も現れ、明治42年(1909年)に大阪府で「建築取締規則」(全88条)、明治45年(1912年)に兵庫県で「建築取締規則」(全58条)が、それぞれ制定されました。
大阪府の規則では、建築物を建設するに当たっての手続き規定の他、次のような規定が定められました。兵庫県の建築取締規則の内容もこれとほぼ同様です。
・建物と道路との距離
・住宅の敷地内の空地の確保
・軒高の制限
・軒高三五尺以上又は四階建て以上の建物の木造の禁止
・土台、基礎の設置
・床下、屋根裏の通風口の設置
・採光面積、窓の高さ、開放面積
・各室の床高、天井高
・階段の数、幅、蹴上、踏面、踊場
・屋上の防火材料による覆葺
・避雷針の設置
・軒等の防火材料による覆葺
・煙突の構造
・便所の設置と構造
・し尿溜等の構造
・木造家屋の間口の制限